留学先では言葉がわからないため信じられないような失敗をすることがあります。
今回は私の失敗からベーグルとの感動の出会いを経験した話をしたいと思います。
アメリカのトランスファー制度について
まず、アメリカの大学は日本の大学と違い、ある程度自由に大学を転校(トランスファー)することができる制度があることはということはご存知でしょうか。
大学で取った単位を引き継ぎながら他の大学に転校(トランスファー)することができます。
もちろん制限はありますが比較的自由に大学を転校できるので、その制度について調べてみることもお勧めいたします。
私の失敗からベーグルとの感動の出会い
私が留学していたのは30年くらい前。まだ携帯もインターネットも普及していない時代でした。
私は、高校を卒業してすぐ18歳でアメリカ東部ニューヨーク州の北に2時間ほど行ったコネチカット州にある小さな大学に入学しました。
初めは大学と言っても大学併設の語学学校に通いながら簡単な大学講義を受ける日々が続きました。
田舎で周りには自然ばかりで何もなく、釣りをしたりサッカーをしたりのびのび大学生活を楽しんでいたように思います。
コネチカット州は富裕層が多く住んでいることでも知られており、優秀な大学イェール大学があることでも知られています。
私は大学自体に不満はありませんでしたが「ブルース」という音楽に興味があり、本場であるシカゴの大学に行きたいと、転校(トランスファー)を考えていました。
コネチカット州の大学に入って半年が経ったころ、シカゴにあるイリノイユニバーシティーに転校(トランスファー)をしたいと考えシカゴがどんな街かどんな学校かも含めシカゴを訪れてみることにしました。
コネチカット州の大学からバスでニューヨークへそしてJ FK空港から飛行機でシカゴのオヘア空港まで、2泊3日初めての一人旅でした。
シカゴでは大学を見学し、街を散策しました。シカゴは思っている以上に近代的な街並みで圧倒されたことを覚えています。3日はあっという間に過ぎ、帰る日になり、16時くらいにシカゴ市街地からオヘア空港までタクシーで向かいました。
JFK空港に着いたらタクシーでマンハッタンへ、そしてバスでコネチカット州まで当日中に帰る予定でした。オヘア空港で航空会社のカウンターでチェックインを済ませ搭乗待合所に着き、あとは飛行機に乗るだけになりました。外はひどい雨が降っていたのを覚えています。
この頃の私には英語は日常会話がちょっとできる程度、空港のアナウンスなんて何を言っているのか正直ほとんどわかりませんでした。しかし、時間に余裕もあるし搭乗口まで来ていたので不安など何もありませんでした。
しかし、搭乗時間が迫ったころ頭上にある電光掲示板に出発時間が遅れるとの掲示がされました。外はひどい雨だったのでしょうがないことだろうと思いました。待つこと30分、飛行機への搭乗が始まりました。
私は迷うことなく飛行機の搭乗口でチケットを乗務員の人に渡して飛行機に乗り込みました。
その当時は今と違い自動改札のような搭乗の仕方はなく、乗務員が目視でチケットを確認して通過するというアナログ方式でした。(空港によっては自動改札のような搭乗もあったと思います。)
飛行機は混んでいましたが私は自分の席番号が書かれた席に向かいました。
すると、なんとそこには他の人が座っていました。
あれ?と思い客室乗務員の女性に確認したところ他の席に案内され席につくことができました。なんだかモヤモヤとはしましたがやっと帰路に着くことができほっとして私はリラックスすることができました。
緊張もして知らない土地を歩き回ったり、乗り物に乗ったりで慣れない旅に疲れ果てていました。目を瞑りシカゴでのことを思い返し、そして空港に着きました。
私はタクシーを捕まえるため空港の外に出ました。
その時私は色々な違和感を感じました。
まず、
空港ってこんな小さかったっけ?
そして見たことのない形のオブジェがありました。
決定的に不安になったのは、空港を出てすぐのタクシー乗り場に緑色のタクシーがたくさん停まっていたことでした。
ニューヨークのタクシーはイエローキャブと言われ、車全体が黄色のタクシーが当たり前でしたので。
私は急に不安になり、近くを歩いていた女性2人組に勇気を出して「Where is here?」と聞きました。英語が合っているかは別として夢中で聞きました。女性たちは怪訝そうに私を見ていました。
それはそうでしょう。日本語訳すると「ここはどこ?」って空港で聞かれることなんてないでしょうから。そして、返ってきた言葉は「Cleveland airport」だということでした。
Cleveland?
まず、
どこそれ?
西海岸なのか?
東海岸なのか?
かろうじてアメリカであることはなんとなくわかりました。
私はすぐに来た道を戻り、航空会社のカウンターへ行き、チケットを指差し「I don’t know why?」と何度もチケットを指差しました。興奮もあり、それ以外は全く英語は出てきませんでした。
初めは怪訝な顔をしていたカウンターの職員の方も私の必死な形相にチケットを覗き込み、いわゆるわかりやすく「Oh my god.」という顔に変わりました。私が飛行機の乗り間違いをしたことに間違いはありませんでした。何が原因かそんなことを考える余裕もなく、ただただ泣きそうになっていました。
もうあたりは暗くなっていましたし、カウンターの職員の方は急いで電話をかけ始めました。私は立ち尽くすしかなかったのを覚えています。
10分くらい経ったでしょうか、ニューヨークに向かう最終便の飛行機が見つかりその飛行機に搭乗させてもらえることになったのです。私は何が何だかわからないままでしたが、こうして無事にニューヨークまではたどり着くことができたのです。
しかし、問題はこれでは終わらず、私が住んでいるコネチカット州までのバスの最終便の出発がもうすでに終わっており、帰ることができないということでした。
ニューヨークに着いたはいいけど、右も左もわからず、藁をもすがる思いで大学の先輩に電話をしました。
先輩からニューヨークに住んでいる知り合いを紹介してもらうことができました。
その人はタイムズスクエアを一本入ったすぐのところに住んでいました。
なんとか住所を頼りにその人のアパートに辿り着きました。もちろん初めて会う人、丁寧にお礼を言って一晩泊めてもらうことになりました。
しかし、僕の心は今日あったことを色々と消化できず、心臓はバクバクして寝ることなどできませんでした。
朝方、6時前くらいだったと思いますが、その人が「朝ごはんでも食べに行こうか?」と言ってくれました。その時、私は昨日の夕方から何も食べてないことに気づき、急にお腹が減ってきました。
その人とアパートを出てタイムズスクエアとは反対の方角へ歩きました。店に入ることはなく、ニューヨークでよく見かける路上にある小さな簡易のパン屋さんでした。
その人がプレーンベーグルを頼み、私も同じものを頼みました。
ベーグルを半分に切り、間にバターを塗って軽くトーストし、包み紙に挟み手渡されました。
ベーグルを食べるのはこの時が初めてでした。
食べた瞬間、今までの緊張が一気にほぐれ私は泣きそうになりながらベーグルを頬張りました。
そして、アパートに帰り荷物をまとめ、バスでコネチカット州の大学まで帰りました。
それ以来、私はベーグルにハマり、日本に帰ってきてからもベーグルはプレーンでバターを挟んでトースト、それ以外食べていません。毎回その時のことを思い出します。
ここからは私の推測になりますが、おそらくオヘヤ空港の搭乗口で飛行機の出発が遅れた際、搭乗口が変更になったのだろうと思います。
そして、私はそれを理解できず、そのままの搭乗口を進み搭乗の際、乗務員にチケットを見せたが乗務員もまさか間違ったチケットを持った人が飛行機に乗りこもうとしているとは思わず、そのまま通過し飛行機に乗ってしまった。
私の座席番号に人が座っていたことは当たり前のことであり、私が飛行機を乗り間違えていた。
おおよそそういったところではないかと思います。
そして私が辿り着いたのはCleveland
幸運にもそこはシカゴから少しニューヨークに近づいたところでした。
もし、私がシカゴより西海岸に向かう飛行機に乗ってしまっていたら、もっと悲劇的なことになっていたのではないでしょうか。
私が飛行機の乗り間違いをしたのは30年くらい前。
インターネット・携帯などが手軽に使える今の時代では経験できない事だったのかもしれません。
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